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2017年3月26日 (日)

シンポジウム「沖縄の情報は本当に伝えられていないのか」

寒い日曜でした。

丸木美術館で開かれている特別展「美しければ美しいほど」http://www.aya.or.jp/~marukimsn/の関連イベントとして開かれた表題シンポジウムに行ってきました。

●シンポジウム「沖縄の情報は本当に伝えられていないのか」
3月26日(日) 15時より 予約不要・無料(入館料別途)
登壇者
伊藤守(メディア研究/早稲田大学教授)
津田大介(ジャーナリスト/メディア・アクティビスト)
毛利嘉孝(社会学/東京芸術大学教授)
新垣毅(琉球新報社東京報道部長)
モデレーター 木村奈緒(フリーライター)
共催 早稲田大学メディアシティズンシップ研究所

以下、それぞれのご発言から特になるほどと思ったところを挙げておきます。(西山理解による言い換え、お許しください。)

津田大介氏

この5年間でスマホユーザーは7倍以上、ツイッター利用者は6倍以上に膨らんでいて、それまで調べた(検索した)人に対してしか情報を発信できなかった発信不得手のネットが、

情報が勝手に目に飛び込んでくる様な形で発信できるようになった。

そんな状況の中、客観的事実より感情的訴えを重視する「ポスト真実」が幅をきかせるようになっている。かつては見向きもされなかった所行、考え方に一定の支持が集まるようになっている。

真実は一つではないというポストモダンの考え方を政治家が言うようになったという一言は非常に気になる指摘でした。

毛利嘉孝氏

たくさんのデータを示されて、「日本人は報道をものすごく信用しているけれど、世界は日本のメディアを信用していない」というご発言が、おもしろかったです。

世界の新聞売り上げベストテンに日本の新聞が5紙だったか、入っているんですね。

しかし、新聞を読む時間もテレビを見る時間も各世代減っているというデータも示されました。

伊藤守氏

ニュースを見たり聞いたりする手段の変化によって、沖縄の情報にたどり着くためにハードルが増えている人と、容易になっている人と分極化が進んでいる。

広告の文字が目に飛び込んでくるだけで言論空間が変わっていくという指摘は、本当にそうだろうと思いました。電車のつり広告が吐き散らしているヘイトタイトルは、空間に嫌な空気をまき散らしていると思います。

琉球新報の新垣毅氏による、三氏の報告を聞いての発言は本当によかったです。

まず、沖縄と本土の「温度差」という表現がよくされるが、この言葉大嫌い。自然現象のように言っていて嫌いだという発言にはっとしました。「戦争になって」のような、戦争を季節みたいに言う表現には反発していましたが、私自身「温度差」という言葉を無自覚に使ってきた気がします。猛省。

氏は、「温度差」ではなく、それは歴史認識の違いだと明言されました。

沖縄戦から考えるのか。

中韓脅威論に立って、国益に反する沖縄は国賊だと考えるのか。

しかし翻って自分が沖縄戦をきちんと伝えられているかというと、それが実に難しい。

沖縄戦の体験者は、その経験が惨すぎて話せない。取材に行って水を掛けられたとか、それでも食い下がってようやく20分?だけ、もう二度と話さないと言われたり。

話者の涙と沈黙から、沖縄戦を感じ取る訳だが、それを言葉で文字にしたところで無味乾燥なものになってしまう。しかし、映像など芸術が(涙や沈黙から受け取ったものを)伝えてくれる。

今起きていること、本質に迫る努力、探求することはできる。

この新垣さんのお話しは、児童文学の立場で考えさせられるものでした。

沖縄の情報を得るため、日本の今を知るため、琉球新報や沖縄タイムスを講読することがとても有効であることが、津田さんから繰り返し提案されました。

6月10日、11日<子どもの本・九条の会>九周年記念イベントでは、初日午後、琉球新報政治部長・島洋子さんにお話しいただくことになっています。

後日詳細お知らせします。

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内容と関係ないよう♪

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