2017年7月 9日 (日)

24条が、安倍政権と改憲右派に狙われる理由

7日(金)、「24条変えさせないキャンペーン」https://article24campaign.wordpress.com/主催のシンポジウムに参加してきました。

<まやかし「加憲」も「改憲」も、どっちも危ない!-24条が、安倍政権と改憲右派に狙われる理由>と題して、文化人類学の山口智美さん、家族法/憲法学者の清末愛砂さん、弁護士で夫婦別姓訴訟弁護団事務局長の打越さく良さんの三人が、それぞれ20分程度で経緯や問題点を語りました。

「加憲」だったら、今ある憲法に足すだけだから、それほど問題ないだろうと考えるのは大間違いということがよく分かりました。

あとから出来た条文の方が優先される「後法優先原則」というのが法学の常識で、9条に3項を足すということは1項、2項の「死文化」になるのだそうです。

そして、24条を変えたい勢力が、どれほど時代に逆行した家族観、男女間(「ジェンダー」観とも言えない。そもそも、「ジェンダー」という概念が共有されていないだろうな)を持っているか、それでなくても、まだまだジェンダーフリー途上国である日本で、明治憲法的、家制度が法的に復活したら、いままで長い時間をかけて積み上げてきた人権が、ちゃぶ台返し的にひっくり返されるだろうという怖さがよく分かりました。

そして、「家庭教育支援法案」というのが、家庭・地域の教育力向上をめざすとか、まあ、なかなか文句付けにくいような顔で、国が家庭に介入するさまざまな取り組みの根拠となるようで、これは要注意と知らされました。

小学校では来年度から、中学では再来年度から教科となる「道徳」で家族の問題は大きなウェイトになるはずです。

児童文学にとっても、家族はとても大きなテーマ。

私たちは、文句の付けにくい「家族の大切さ」に、国家権力の牙が潜んでいないか、知恵を付けて注視していかねばならないでしょう。

それから、全権委任法、もとい「緊急事態条項」も、とんでもない。

今でさえ数に任せて好き勝手している政権にフリーハンドを持たせるなんて、もうほんとにとんでもない。

法制度などは、ほんとに難しいから、あれこれ学習会などで専門家の話を聞くのが良いですね。

2017年5月29日 (月)

「共謀罪」に反対したり・・・

行けるときにはせめて、と、今日は議員会館前に行ってきました。

日射しは強かったけれど、風は乾いていて、まぁなかなかの街頭声あげ日より。20170529_5

その帰りに寄った地元の図書館で除籍本のリサイクルやっていました。

除いて目に留まったのが、『されど我ペルーを愛す』。

1997年に起こった、ペルー日本大使公邸人質事件の渦中にあった青木盛久氏大使(当時)と妻直子氏の共著書となっています。

私自身、ペルーやボリビアが好きで何度か行っていたぐらいで関心はもちろんありましたが、それより何より、この事件の顛末で暗澹たる気分になったことを久しぶりに思いだしました。

この事件が「突入」で結末を迎えたとき、体が震えるほど憤りを感じたのでした。

それは、対話が暴力に敗北した瞬間だったから。

ずっと「テロリスト」たちと交渉にあたっていたシプリアニ大司教が泣いていた姿が、ーーそれが放送されていたのかどうか記憶は定かではなく、その後読んだ本や記事から得た情報が私の中で映像として定着した物かもしれないのですが、ーーとにかく、それが忘れられません。

自分の交渉が突入のためのトンネル作りの時間稼ぎにされていたと・・・・・・。

私も、ほんとに悔しかった。

結構身近な人が「本当によかった」と突入による解決を手放しで喜んでいたこともショックでした。

「テロリスト」は全員殺されたのに。

リマ在住の知人に聞きました。

あちらのテレビでは、遺体もなにもモザイク無しでどんどん流していて、「テロリスト」たちの殺害遺体は「フジモリ(当時ペルー大統領)に逆らったらこうなる」とばかりに、凄惨な物だったそうです。

そういう映像をいつも見せつけられている、あの時代のペルーの子ども達を(直訳すれば)「暴力(時代)の子ども」と言うとも聞いた記憶があります。

毎日公邸に運び込まれる人質たちの食料をみて、うちの子に分けてくれと言ってくるセニョーラのことも、どこかで読みました。

「テロ」に勝利したという歓迎と喜びの声が満ちていた。

日本でも「突入」してみたいと思っていそうだと感じる言説があった。

「テロリスト」は絶対悪だから、殺されて当然、という空気が満ちたそれが怖かった。

あれから20年・・・・・・。

2017年5月22日 (月)

沖縄へ行ってきました

児文協沖縄支部主催の学習会に参加するために、土日を沖縄で過ごしました。

第1部は藤田のぼる氏の講演「児童文学と教科書をめぐって」

第2部は詩人・作家の大城貞俊さん、琉球大学教授の武藤清吾さん、児文協沖縄支部長池宮城けいさん、そして藤田さんの四人がパネリストとして並び「子どもの本の可能性 幼年に平和は伝えられるか」というテーマで話すという企画でした。

この学習会は今年3月に児文協「子どもと平和の委員会」と「子どもの本・九条の会」の共催で開いた学習会を沖縄でも聞きたいということで企画されたものです。

藤田さんのお話は3月にも聞きましたが、第2部は沖縄で開いたからこそのパネリストで、本当にいろいろと考えさせられました。

ちょっとここでは簡単に書けません。

6月10日に、<子どもの本・九条の会>9周年記念イベントの中で作家濱野京子さんと「公開おしゃべり 児童文学は社会にどうコミットするか」で少し話せたらと思います。

日曜日、辺野古に行きたいという私に一日Kさんが付き合って、案内してくださいました。

辺野古は工事も抗議も日曜日で静かなものでした。

キャンプシュワブのゲート前テントにはお二人しかいませんでしたが、カンパして、ニコニコマークのキャンディを差し入れしましたら(そのつもりで持参)、さすがに気が塞ぐときもあるのだと、大変喜んで頂けました。

人数の欲しい平日の座り込みにはなかなか来られないので、代わりに国会前に行きます、と言った私です。

写真は、マスコミの人たちの撮影スポットでもあるという元灯台あとの高台から望んだ大浦湾です。

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途中、昨年米軍軍属に殺害された二〇才の女性の遺体が遺棄されていたという所にも連れていってくださいました。

たくさんの飲み物やお花が供えてありました。

置かれたばかりと思われる花束もありました。

車中でKさんとたくさん話せたことも、今回の旅の大きな収穫でした。(貴重なお休みを付き合わせてしまいましたが・・・)

2017年5月 6日 (土)

『日本児童文学』7-8月号特集は「壁を越えて」

世間の連休を尻目に、通常業務にいそしみつつ、遅れていた表題特集原稿に手一杯になっていました。

たいていの場合指定文字数の3割増しぐらいの原稿になって、それを依頼字詰めでぴったりまでシェイプアップしていく作業は好きです。

例えば、こんな所を今回カットしました。

こんなことをゆるゆる書いているから、無駄に長くなるんですけどね。

(「壁ドン」なる言葉が流行ったりもしたが、あれは、セクシュアルハラスメントの一種だろう。腹立たしいのだが、それはまた別の話。)

 

2017年4月23日 (日)

イラン映画「人生タクシー」観ました

良かった!

映画制作などを禁止されているパナヒ監督が自ら運転するタクシーの車載カメラに映った、テヘランの人びとの人生。

イランのタクシーは乗り合いのようで、そこに乗り合わせた乗客同士の死刑賛否論、

外国映画の海賊版を密売する男、

学校で短編映画作りをすることになった、監督の姪っ子(それはもう、小生意気で口達者ですばらしくキュート!)

拘禁されている仲間へ真っ赤なバラの花束を抱えて会いに行く女性弁護士

、などなど、

車載カメラの前で繰り広げられる会話から、イランの文化統制の実情が見えてきて、底知れない怖さもあるのですが、全体はドタバタに近いユーモアも覆っていて、とても素敵な映画でした。

この本編上映の前に「7分のショート映像(という言い方だったか・・・)があります」というアナウンスがありました。

普通、「予告編」というのに、?と思っていましたら、

何と森達也監督による、前座的ショートムービーでした。

映画制作を禁じられた映画監督が、高校時代の映像を編集しているところに、警察が踏み込んできて「映画を作るな」「これはえいがじゃなくて映像だ」と言い合う、コント。

途中、「映画を撮るのは禁止されているが、編集は禁じられていない」とか言うと、「へりくつ言うな。教育勅語を読め!」って、!

これは、遅れて入館したら大損ですね。

終わって外に出るとき、前を歩いて行く女性たちが、「(日本も)こうなりかけてるのかも。こわいねぇ。」と言い合ってました。

2017年4月 8日 (土)

日本ペンクラブ主催「共謀罪は私たちの表現を奪う」

昨日、日本ペンクラブ主催の表題集会に行ってきました。

1人約5分~10分×14人。私は、三人目の内田麟太郎さんの途中から入場し12人の方の発言を聞きました。

あらためて「共謀罪」の怖さがわかるお話しが、それぞれの足場から具体的に、時にユーモアいっぱいに、豊かに語られました。

森達也さんの発言で、「共謀罪」は、私が学び、心打たれそれを芯にしたいと思ってきた人間観に真っ向から反するということがはっきりわかりました。

例えば、銀行強盗を計画し、下見に行き、やっぱり止めようとなったとしても、「共謀罪」はそれを罪とする。

この法律は人間の可塑性を許さない。

また、組織の一員ということで罪に問うのは、全体でレッテルを貼る(トランプがメキシコ人ということで悪と決めつけるように)ことで、一人一人を見ない。

人は変わる。

人は一人一人違う。

 これは、私が大田堯先生から学び、そして今縁あって身を置いている教育の現場が基本理念として大切にしている人間観です。

「共謀罪」を四度目の廃案にするために、できるだけのことをせねばと焦るように思います。

以下、日本ペンクラブのツイッターにそれぞれの発言者の要所要所が紹介されています。

https://twitter.com/JapanPen?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=http%3A%2F%2Fwww.japanpen.or.jp%2F

Photo
本当は寝ていたい。

2017年4月 2日 (日)

怖すぎる「新しい憲法のはなし」(那須正幹作)

昨日、<おはなしのピースウォーク>朗読CD(3枚組)で、古田足日さんの声を聞き直しました。

その際、同じ一枚目に入っている、「新しい憲法のはなし」(那須正幹作)を、実に久しぶりに聞きました。

怖い、怖すぎる。

作品は、毎日行われるようになった朝礼の場面から始まります。

気をつけをして、日の丸に向かって君が代を歌う・・・・・・。

学校にも行かない、仕事もしていない人が送り込まれる「青少年自立センター」。

そこで、徹底的にしごかれて送り込まれる「国防軍」。

学校を去って行く熱心な先生たち。

前の年に憲法が変わって、使われるようになった教科書『新しい憲法のはなし』の授業では、集団的自衛権や国民の責務が説明される・・・・・・。

作品は「おわり」と記した後一行開けて、

「これは、現在の物語ではありません。少し未来の話です。その未来が、五年先か、十年先なのか、それとも永遠に来ない未来なのか、作者にもわかりません。」
と閉じています。

シリーズ第3巻『扉を開けて』(新日本出版社 2006年)所収の作品です。

怖くて怖くて、動悸が収まりません。

2017年4月 1日 (土)

「忖度」そんなに珍しい?

「忖度」という言葉がにわかに注目を集めていますけれど、新語でもないし、にわかに発生した行動原理でもないでしょう。

「空気を読む」ってのが、コレだったんじゃないですか?

テレビの情報番組(?ニュースバラエティ?)で、「(忖度って、悪いことのように言われているけれど)気配りでしょう」という、コメントが耳に飛び込んできて、げっとなった。

類語として思い浮かぶのは、「おもねる」とか、「顔色をうかがう」とか、「寄らば大樹の陰」とか、「長いものには巻かれろ」とか、「ははー、お代官様」とかでしょ。

「忖度」を使って短文を作りなさいという問題があったとして、

「年配者に忖度してバリアフリー化を進める。」という解答があったら、私は×をつけるけれど、まったくニュートラルに「他人の心を推し量る」ことに使う言葉なのでしょうか?

力のある者が言葉で直接どうこうしろと言わなくても、思いを先取りして行動することだとずっと思ってきたのだけれど。そして、森友学園問題で使われている「忖度」は、私の理解通りだと思うのだけれど。なんか、やたら、「気配り」「配慮」、自然な感覚・・・といったコメントが耳障りです。

忖度文化に決別したい。

ってなことを考えたりする私西山、来週水曜日に銀座、教文館ナルニア国で「古田足日というバトン 平和を作る児童文学を創る」と題して話します。

日時:2017年4月5日(水) 午後6時~7時30分
会場:教文館6階ナルニア国内 ナルニアホール
定員:40名
参加費:1000円 ※当日受付でお支払いください。

【申込方法】
★ナルニア国の店頭でもお申し込みいただけます!
参加ご希望の方は、お電話でナルニア国へご連絡ください。
定員に達した時点で受付を終了します。
申込み電話番号:03-3563-0730 (午前10時~午後8時)

古田足日さんのDVD映像も紹介します。

『おしいれのぼうけん』の原画に囲まれた空間で、古田さんを通して、平和と児童文学について考える時間をご一緒しましょう。

2017年3月28日 (火)

映画「ヨーヨー・マ 旅するシルクロード」 よかった!

「ヨーヨー・マ 旅するシルクロード」http://yoyomasilkroad.com/を観ました。

よかった。

すごくよかった!

予告編で音楽に興味を持って観に行ったのでしたが、それはもちろんとてもよかったけれど、それだけではありませんでした。

銃弾と飢えの前で芸術に何ができるのか、と思ったとことのある人に薦めます。

偏狭なナショナリズムにうんざりしている人に薦めます。

文化とは何か、

伝統とは何か、

大地に根を下ろすとはどういうことか、

などなど、ヨーヨー・マ始め、登場アーティストたちの言葉が深く、ほんとに観て良かったと思いました。人間って捨てたもんじゃないとわくわくしました。

ロックの起源と豪語する、中国の人形劇団のおじさん(おじいさん)たちの演奏も一見の価値あり

2017年3月26日 (日)

シンポジウム「沖縄の情報は本当に伝えられていないのか」

寒い日曜でした。

丸木美術館で開かれている特別展「美しければ美しいほど」http://www.aya.or.jp/~marukimsn/の関連イベントとして開かれた表題シンポジウムに行ってきました。

●シンポジウム「沖縄の情報は本当に伝えられていないのか」
3月26日(日) 15時より 予約不要・無料(入館料別途)
登壇者
伊藤守(メディア研究/早稲田大学教授)
津田大介(ジャーナリスト/メディア・アクティビスト)
毛利嘉孝(社会学/東京芸術大学教授)
新垣毅(琉球新報社東京報道部長)
モデレーター 木村奈緒(フリーライター)
共催 早稲田大学メディアシティズンシップ研究所

以下、それぞれのご発言から特になるほどと思ったところを挙げておきます。(西山理解による言い換え、お許しください。)

津田大介氏

この5年間でスマホユーザーは7倍以上、ツイッター利用者は6倍以上に膨らんでいて、それまで調べた(検索した)人に対してしか情報を発信できなかった発信不得手のネットが、

情報が勝手に目に飛び込んでくる様な形で発信できるようになった。

そんな状況の中、客観的事実より感情的訴えを重視する「ポスト真実」が幅をきかせるようになっている。かつては見向きもされなかった所行、考え方に一定の支持が集まるようになっている。

真実は一つではないというポストモダンの考え方を政治家が言うようになったという一言は非常に気になる指摘でした。

毛利嘉孝氏

たくさんのデータを示されて、「日本人は報道をものすごく信用しているけれど、世界は日本のメディアを信用していない」というご発言が、おもしろかったです。

世界の新聞売り上げベストテンに日本の新聞が5紙だったか、入っているんですね。

しかし、新聞を読む時間もテレビを見る時間も各世代減っているというデータも示されました。

伊藤守氏

ニュースを見たり聞いたりする手段の変化によって、沖縄の情報にたどり着くためにハードルが増えている人と、容易になっている人と分極化が進んでいる。

広告の文字が目に飛び込んでくるだけで言論空間が変わっていくという指摘は、本当にそうだろうと思いました。電車のつり広告が吐き散らしているヘイトタイトルは、空間に嫌な空気をまき散らしていると思います。

琉球新報の新垣毅氏による、三氏の報告を聞いての発言は本当によかったです。

まず、沖縄と本土の「温度差」という表現がよくされるが、この言葉大嫌い。自然現象のように言っていて嫌いだという発言にはっとしました。「戦争になって」のような、戦争を季節みたいに言う表現には反発していましたが、私自身「温度差」という言葉を無自覚に使ってきた気がします。猛省。

氏は、「温度差」ではなく、それは歴史認識の違いだと明言されました。

沖縄戦から考えるのか。

中韓脅威論に立って、国益に反する沖縄は国賊だと考えるのか。

しかし翻って自分が沖縄戦をきちんと伝えられているかというと、それが実に難しい。

沖縄戦の体験者は、その経験が惨すぎて話せない。取材に行って水を掛けられたとか、それでも食い下がってようやく20分?だけ、もう二度と話さないと言われたり。

話者の涙と沈黙から、沖縄戦を感じ取る訳だが、それを言葉で文字にしたところで無味乾燥なものになってしまう。しかし、映像など芸術が(涙や沈黙から受け取ったものを)伝えてくれる。

今起きていること、本質に迫る努力、探求することはできる。

この新垣さんのお話しは、児童文学の立場で考えさせられるものでした。

沖縄の情報を得るため、日本の今を知るため、琉球新報や沖縄タイムスを講読することがとても有効であることが、津田さんから繰り返し提案されました。

6月10日、11日<子どもの本・九条の会>九周年記念イベントでは、初日午後、琉球新報政治部長・島洋子さんにお話しいただくことになっています。

後日詳細お知らせします。

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内容と関係ないよう♪

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